戦国一の知略とも評される軍師・黒田官兵衛のゆかりの地をめぐる

HOME » 黒田官兵衛(黒田如水)ゆかりの地リスト » 福岡

福岡

秀吉から九州の地を拝領した黒田官兵衛・長政親子が築いた「福岡城」はじめ、ゆかりの地を探訪します。

官兵衛の隠居所があった黒田藩のゆかりの地「福岡城」

官兵衛の「福岡城」跡1600年、関ヶ原の合戦で東軍の勝利に大きく貢献した黒田官兵衛の息子・後に黒田藩初代藩主となる黒田長政は、徳川家康から筑前国52万3000石を与えられます。

当初長政は、名島城(福岡市東区)に入城するのですが、手狭だったため1601年から当時福崎と呼ばれていた土地に新しい城を築き、城の名前を黒田氏ゆかりの備前福岡にちなんで「福岡城」と命名。城下町を「福岡」としました。

なお、築城名人加藤清正は福岡城を高く評価し、「自身の城は3~4日で落ちるが、福岡城は30~40日は落ちない」と賞賛したと伝えられています。

福岡城の築城が進むと、すでに隠居していた官兵衛は三の丸の小高い丘に「御鷹高屋敷」と呼ばれる住居を構えます。現在その場所には「黒田如水公御鷹屋敷跡」の石碑が立っており、周辺は「牡丹・芍薬園」として、多くの観光客が訪れる名所となっています。

黒田家の「黒田家譜(黒田家の公式記録。寛文11年(1671年)に貝原益軒が編纂を始め、元禄元年(1688年)に完成。以来、続家譜・新続家譜が作られ、各々数度の改訂を受けている)」によると、官兵衛が過ごした住居は質朴だったそうです。

官兵衛とゆかりの深い太宰府天満宮

大宰府天満宮福岡城の築城の間、官兵衛は、「飛梅」で知られる太宰府天満宮の鳥居の東に宅を移していました。

官兵衛は和歌・連歌の神としても知られる天神様(菅原道真)を崇敬し、夢の中でのお告げにより詠んだ連歌を奉納。境内には現在も「如水(隠居後の名前)の井戸」が残っています。

天満宮は戦国時代の戦火に焼かれて荒廃していましたが、官兵衛はそれを憂いて寄進・再建を行いました。そのため天満宮は黒田家に対し報恩の思いを忘れず、宝物館には黒田家の史料が数多く残されています。

その後、病を患った官兵衛は、1604年3月20日、京都伏見で没したとされています。享年59歳。法名は龍光院殿如水円清。官兵衛の墓は京都の大徳寺龍光院崇福寺にあります。

崇福寺は隋乗坊堪慧禅師によって仁治元年(1240)に大宰府に創建された寺院ですが、慶長6年(1601年)に黒田長政が太宰府にあった当寺を現在地に移して黒田家の菩提寺としました。黒田家墓所(市指定史跡)には、官兵衛と長政をはじめ、歴代の藩主とその一族など12基の石塔が立ち並び、今も福岡の地を見守っています。

福岡の官兵衛ゆかりの地をたずねる旅の宿

海から見た姿が鶴が羽を広げた形に似ていたことから、別名「舞鶴城」とも呼ばれる福岡城をはじめ、太宰府天満宮崇福寺などは、官兵衛ゆかりの地として、今も数多くの観光客が訪れます。

福岡城跡一帯は「舞鶴公園」として整備されており、春には桜の名所としてお花見スポットの一つとなっています。また福岡城跡には、平成24年に「福岡城むかし探訪館(入館無料)」が開館。福岡城の歴史を知ることが出来るスポットとして、歴史ファンの人気を集めています。

ホテル日航福岡官兵衛ゆかりの地を訪ねる旅には、JR博多シティ(博多駅)から徒歩3分とアクセス便利な「ホテル日航福岡」、JR博多駅・博多口より徒歩約5分、福岡空港からも車で約15分、近隣の主要施設への交通至便な「ANAクラウンプラザホテル福岡」、福岡空港から地下鉄で-約10分、100室以上の部屋数を誇る「ホテルオークラ福岡」などがおすすめです。

黒田官兵衛ゆかりの地リスト

 
黒田官兵衛(黒田如水)ゆかりの地めぐりガイド