戦国一の知略とも評される軍師・黒田官兵衛のゆかりの地をめぐる

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大阪・京都

黒田官兵衛は天下人になった秀吉の拠点となった「大阪城」の築城に深くかかわっています。大阪・京都にある官兵衛のゆかりの地をご紹介いたします。

官兵衛が縄張りを手がけた太閤の拠点「大阪城」

官兵衛がかかわった大阪城黒田官兵衛は軍師として戦場で華々しい活躍をしていますが、築城にも才能を発揮したといわれています。

戦国時代には「縄張り(城の設計)名人」と伝えられる武将がおり、官兵衛のほかにも、「武者返し(兵を防ぐことに優れた石垣)」で知られる熊本城、名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城など数々築城に携わった加藤清正、築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを手がけた藤堂高虎が有名です。

大阪城は豊臣政権の拠点となった城で、官兵衛が築城にかかわっています。官兵衛はこのほかにも、自身の居城・中津城や黒田藩の拠点・福岡城、高松城、名護屋城、広島城などの築城にかかわり、縄張りや助言を行いました。

大阪城は姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられています。現在見ることができる天守閣は昭和初期に再建されたものですが、周囲には大阪城公園が整備され、今も大阪の象徴として多くの観光が訪れる名所となっています。

官兵衛ら近臣の屋敷があった京都のゆかりの地

官兵衛ら側近らの助けもあり、天下人に駆け上った秀吉は、慶長3年3月15日(1598年4月20日)、京都の醍醐寺において、のちに「醍醐の花見」として伝えられる盛大な宴を催しました。この日は豊臣秀頼、北政所、淀殿らの家族をはじめとして、諸大名から配下の者まで約1300名が顔をそろえ、それは盛大な花見となりました。

伏見城晩年の秀吉は大阪城より、京都の聚楽第、伏見城で暮らす方が多く、近臣たちの屋敷もこの周辺建ち並んでいました。官兵衛の邸宅は聚楽第の東北部、現在の上京区一条通にあったそうで、それを今に伝える石碑が立っています。

またこの地を如水(官兵衛が隠居後に名乗った名前)町というのは、これにちなんでいます。

また如水町周辺には浅野長政の通称の弾正少弼を由来とする弾正町、蒲生氏郷の通称・飛騨守にちなむ飛弾殿町など、屋敷を構えていた大名の名を冠した町名が数多くあります。

なお、伏見城は文禄4年、「伏見の大地震」の際、倒壊しています。この時、官兵衛は秀吉の住む伏見城に駆けつけましたが、面会してもらえませんでした。しかし、同じく伏見城に参じた加藤清正は賞賛したそうです。秀吉は軍師としての官兵衛は高く評価していましたが、同時に「自分の寝首をかくかもしれない男」と恐れてもいたためです。そのため「わしが死ななくて残念であろう」と厳しい言葉をかけたとも言われています。

大阪・京都のゆかりの地をたずねる旅にはこのホテル

大阪や京都には、「大阪城」「伏見城」をはじめ、現在も官兵衛や彼が生きた安土桃山時代を今に伝える名所旧跡が数多く残っています。観光地として整備されていますから、遠方からの交通アクセスなども便利。また地下鉄など、街中をめぐる公共交通も行き届いていますから、旅慣れていない人も安心して出かけることができます。

「ホテル カンラ 京都」官兵衛の事跡をたずねる拠点となるホテルとしては、桜の名所として知られる「帝国ホテル大阪」や大阪城公園のすぐ近くにあり、水と緑に囲まれた立地の「ホテルニューオータニ大阪」といった老舗ホテルがおすすめ。

また京都の官兵衛ゆかりの地を探訪するなら、口コミでも評判の高い高級ホテル「京都ブライトンホテル」、京都駅直結でアクセス便利な「ホテルグランヴィア京都」、京町屋風の作りが風情をかもしだす「ホテル カンラ 京都」が人気です。

黒田官兵衛ゆかりの地リスト

 
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