戦国一の知略とも評される軍師・黒田官兵衛のゆかりの地をめぐる

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中国・四国

中国攻略で「高松城城攻め」を提案・推進した黒田官兵衛。戦いにゆかりの地を紹介します。

黒田官兵衛と秀吉の「高松城城攻め」

黒田官兵衛は、織田軍の中国攻めに、直属の主君である羽柴(豊臣)秀吉とともに出陣しています。当時の中国地方を治めていたのは、稀代の諜将・毛利元就が築いた毛利家を継いだ毛利輝元。年若い輝元を支えていたのは元就の息子で、「毛利両川」と呼ばれた武将・小早川隆景と吉川元春でした。

天正10年(1582年)、秀吉は清水宗治が籠る備中高松城を包囲します。これが歴史に名高い水攻めが行われた「備中高松城の戦い」です。この戦さの舞台は、現在「高松城趾公園」となっています。平成5年に完成した公園内には7000㎡もの広大な堀があり、7月中旬になると「宗治蓮」と呼ばれる蓮が咲き乱れ、来園者を楽しませてくれます。

また本丸跡には宗治の首塚といわれる墓石が、土盛りの上に立っています。ほかには「水攻め図案内板」「辞世の歌碑」、貴重な遺物を収蔵している「高松城址公園資料館」などがあり、すべて無料で見学することができます。ほかには宗治が自刃した「妙玄寺(供養塔があります)」、「高松城水攻水取入れ口遺跡」といった史跡も、近くに点在しています。

四国攻めでは長宗我部元親と対峙した官兵衛

織田信長の死後、天下獲りの一番手となった秀吉は四国攻略に着手します。ただし、当時の秀吉は体調が悪かったそうで、四国攻めの総大将を弟の秀長に任せています。秀吉の軍師である官兵衛も四国に赴き、四国を統一した長宗我部元親と兵刃を交えます

長宗我部元親は土佐の国人から戦国大名になり、阿波・讃岐の三好氏、伊予の西園寺氏・河野氏らを下してと戦い四国の覇者となった武将です。

秀吉軍の四国攻めは、東に淡路・阿波から進攻した秀長・秀次、西に伊予から小早川隆景・吉川元春の毛利勢、そして北に讃岐方面からは宇喜多秀家・蜂須賀正勝・黒田官兵衛と、三方向から行われました。

元親軍約4万に対して、秀吉軍は総勢11万の大軍。圧倒的な兵力の差で、諸戦の天霧城戦を皮切りに元親側の諸城が次々と陥落。開戦からたった2か月で、秀長に降服することになりました。

四国には、本丸(物見台)跡・二の丸跡・三の丸跡・隠し砦跡・外郭・石塁・堀切・井戸などが残る「天霧城跡」をはじめ、四国攻めにまつわる場所が残されています。

官兵衛の中国・四国の足跡をたどるならこのホテル

黒田官兵衛が、2014年のNHK大河ドラマの主役になるということで、西日本を中心にしたゆかりの地では、観光に力を注ぐ予定です。中国・四国地方には「高松城趾公園」をはじめ、官兵衛にゆかりのある土地が少なくありません。

というのも、官兵衛の先祖・高政が近江を追われて落ち着いた地は、備前国邑久郡福岡郷(現在の岡山県邑久郡)。この地で高政は黒田家伝承の目薬(玲珠膏)を販売し、財産を蓄えたといわれています。また官兵衛が九州に転封されたとき、「福崎」と呼ばれていた地を「福岡」に改名したのは、福岡郡にちなんでいるそうです。

「岡山全日空ホテル」戦国時代の重要な戦いのひとつである「高松城水攻め」の舞台となった「高松城趾公園」をはじめ中国地方の史跡を訪ねるなら岡山駅に近い「岡山全日空ホテル」「ホテルグランヴィア岡山」などがおすすめです。

また四国は地元の人々から「今国」の通称で親しまれている「今治国際ホテル(愛媛県)」ほか、多くの宿泊施設があります。歴史散策が終わった後は、「道後温泉」へ足を伸ばすのもいいでしょう

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